『パシフィック・リム』に犬が出てくるのはなぜか  ―記憶の森を旅する映画―


 ジェイムズ・ヒルトンの『心の旅路』という小説をずいぶん昔に読んだ。同題の有名な映画の原作だ。私の子供の頃の新聞や雑誌では、「記憶喪失」の話題にからめて「心の旅路」という言葉が代名詞のように使われていたほどだ。映画自体は見たことがなく、予備知識なしで小説を読んだのだが、一番最後の頁を読んで雷に打たれたようになった。
 
 「なにィィイ?!」
 
 ちなみに映画『心の旅路』も後に見たが、映画は原作を根本的に組み替えていて全く話の構造が違うので、中盤でこの仕掛けがわかってしまう。原作を読まれる方は、事前に絶対に映画を見ないことをおすすめする。
 『パシフィック・リム』という映画をどう受け止めたか。一言で言うなら、『心の旅路』で受けた衝撃にとても似ている感じがした。ただそれは、ラストに仕掛けがあるという意味ではない。『パシフィック・リム』初見から、「なにィィイ?!」に至るまでは2週間ほどもかかった。我ながら鈍感にもほどがあるが、この映画と出会ってそれを反芻し、はたと気付いたときの衝撃が、まさに『心の旅路』のあのラストだった。見ていたのに、見えていなかった。
 
【1】初見時の印象
 
 冒頭、最初の怪獣出現のカットは本当に素晴しかった。10秒にも満たないカットだが、「我々の現実世界」に巨大な怪獣が現われる、それを強烈な実感で見せてくれた。1フレームごとに見ていくと、最初の方は「実感を伴った普通の風景」の背景に怪獣が見えている。われわれ観客のいる場所は、金門橋の上に立っている人間の視点だ。目の前に停車している車両も現実感満点だ。ただ、左に見えるパトカーのランプ、そして橋の上にずらりと車両が停車してドアは開いたままになっているのが、何らかの事件を感じさせる。そして怪獣が襲い掛かってくると、怪獣の右手が橋の向こうの方にのしかかり、すぐ近くに左手が迫る。そして、すぐ目の前の現実感溢れる車両が怪獣の爪で粉砕される。それだけではない。磐石に思われた足元の巨大な橋全体が怪獣の力できしみ、ゆらぎ、傾いていく。
 そして続くカットでは見上げる構図で巨大な怪獣、崩れる橋、こちらめがけて落ちてくる車両。IMAX3Dという上映形式も相俟って、まさに「巨大怪獣を実際にこの目で間近に見る」というありえない体験をさせてくれた。
 また、中盤の東京襲撃のシークエンスも素晴しかった。東京のビル街の路上の視点に観客は立たされる。そして上空を突っ切って飛んでいくジェット戦闘機。その飛んで行く先には巨大な影、途方もない大怪獣だ。ビルを突き崩しながら覆いかぶさるような圧倒的迫力で巨大な怪獣が迫ってくる。これは私が幼稚園児のときに劇場で見た『空飛ぶゆうれい船』中盤のゴーレム出現を彷彿とさせる。『空飛ぶゆうれい船』では、まずジェット戦闘機、次いで戦車が日常のビル街に現われ、われわれ観客は路上でそれを仰ぎ見ている。戦車が攻撃する先に巨大な手、そしてゴーレムの全身が現われる。『パシフィック・リム』でも戦闘機の攻撃する先にまず見えてくるのは巨大な手だ。半世紀近くを経て、遂に私は『空飛ぶゆうれい船』の世界に実際に入り込むことができたのだ。IMAX3Dは、自分と怪獣が共有している巨大な空間を吹き抜ける風の息吹を感じさせてくれた。本当に驚いた。
 だが残念ながら、それだけだった。イェーガーと怪獣の戦いになると、ここまで書いてきたような魅力は消え失せてしまう。要は、自分が巨大ロボットと同化して巨大な存在となり、よくできたセットで怪獣とひたすら戦うような感覚を味わう映画になってしまうのだ。勿論それはそれで楽しい。だが、サンフランシスコと東京のシークエンスを見せられた身としては、それがひたすら残念だった。怪獣自体の魅力も、最初のカテゴリー3の怪獣たちは決して悪くないと感じるが、カテゴリー4、5と進むにつれて、自分の趣味には合わない類のパワフルなケダモノになっていってしまう。細かいところを見ていけば、ナイフヘッドから船を救うところは、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の冒頭の戦いの如く、船上の人物の不安な視点からの迫力はそこそこ魅力的だった。また、中盤の「巨大な市街の中のある地点の閉鎖された空間にいる特定の人物を巨大な怪獣が見つけ出して迫ってくる」という怖いシチュエーションは、『空飛ぶゆうれい船』で怪物がホールの中の黒汐会長を見つけ出して捕えてしまう怖さに通じるし、両者には「壁(天井)を突き破る巨大な爪」という共通する恐怖のイメージもある。他にもそういう細かいところではもちろん色々と楽しめるのだが、総合的には「勿体なくて残念」だというのが率直な印象だった。
 ただ、見終えて帰路を歩く途上で考えたのは、これは「ギレルモ・デル・トロ監督と自分の趣味の違い」でしかないということだ。監督が「無能」だとか、「分かっていない」とか、「センスが悪い」とか、そういう感想は一切抱かなかった。つまり「私の見たい映画」というベクトルは、私がこれまでの人生で出会ってきた色々なものの積み重ねの上にたどり着いたものだ。同様に、デル・トロ監督も日本からメキシコに届いたさまざまな怪獣映画やアニメは勿論だが、人生の上にいろいろなものを積み上げた上にデル・トロ監督のパーソナリティが成り立っている。だから、その違いだけが「私がこの映画の85%を気に入らない原因」なのだ。
 実はそれは私にとっては凄いことだった。正直、私は「日本の怪獣映画やアニメーションを好きなマニア達が作った映画」の殆どが大嫌いだ。それらを見ると、あまりの拙さに絶句する。心の中に湧いてくるのは「怒り」「哀しみ」「軽蔑」「絶望」だ。「好きこそ物の上手なれ」という言葉を持ち出す人がいるが、「ゴッホの絵が好き」かどうかと、「ゴッホになれる」かどうかは全く別の話だ。そして、ゴッホは滅多にいない。
 私はデル・トロ監督が『パシフィック・リム』で成し遂げた仕事に敬意を表する。この映画の中には、日本の特撮映画やアニメーションのいろいろな要素がたくさん見えるけれども、それらは「安易な引用」とは程遠いものだ。マニアが作る映画によくあるような「オマージュを切り貼りしたちぐはぐなパッチワーク」ではなく、デル・トロ監督がたくさんの作品を受け止めて十二分に消化して吸収して分解して養分にして己の一部としたものが、新たな『パシフィック・リム』という作品の血や肉として新しい命を得ている、それが結論だった。
 
【2】反芻、そして再見
 
 『パシフィック・リム』に対する感想をあちこち覗いてみると、実に興味深かった。日本の特撮映画(及びテレビ作品)の色々な断片が取り込まれているのは私にもある程度見えるが、ほかにもいわゆるロボットアニメの領域からも様々な題名が挙げられていて、しかもひとつに偏らずに人それぞれ挙げる作品がばらばらなのだった。『鉄人28号』『マジンガーZ』『鋼鉄ジーグ』『ゲッターロボ』『マグネロボ ガ・キーン』『ジャンボーグA』『機甲界ガリアン』『機動警察パトレイバー』『メトロイド』『神魂合体ゴーダンナー!!』、その他にも色々あった。私が良く知らない作品の方が多いが、それぞれの概要を覗いてみると、たしかに頷けるものばかりだ。『メトロイド』といわれればジプシー・デンジャーは正にそれだと感じるし、『ゴーダンナー』だといわれてみれば物語や設定は驚くほど似ている。
 もうひとつの興味深い点は、映画を見た時には心にひっかかる感じがして、時間が経ってから、「ああ、あれだ」と気付いたという意見が少なからずあったことだ。私も数日後にふと、「ああ、本体を敵の本拠に突っ込ませて吹っ飛ばして、操縦者は脱出カプセルで間一髪脱出するというのは、『空飛ぶゆうれい船』そのままだなあ」と気付いた。しかも操縦者が若い男女のペアなのもそのままだ。言われてみれば明々白々なことにすぐ気がつかないのは、膨大な作品の無数の要素が幾重にも重ねられて複雑に組み合わされているからだ。しかも、『パシフィック・リム』という映画の仕上がりはそういう複雑な組み上げプロセスを感じさせない、一見すごくシンプルに見えるほどの統一感に溢れた完成度の高い独立した作品になっている。
 ビッグ・バジェットの超大作として、「日本の特撮映画やロボットアニメを知っているか否かにかかわりなく観客が皆楽しめる映画」としての水準にきちんと到達した一見シンプルな作品でありながら、『空飛ぶゆうれい船』が好きな私が見ればそういう景色が見えるし、『ジャンボーグA』を好きな人が見ればまた違った景色が見えるのだろう。見る角度によって違った景色が見える万華鏡のようでもある。実に優れた映画だと思えてきた

 そして初見の5日後に2回目のIMAX3Dを鑑賞。すでに内容は把握しており、また自分の考え方も整理済みだったから、無用な一喜一憂抜きに、素直に見ることができた。自分の趣味に合うところも合わないところも、映画の全てをとても楽しめたと思う。 

 
【3】迷いの森を抜けて
 
 8月の半ばの暑い時期に2回観て、頭もぼーっとしていたが、涼しくなった翌週あたりにまた反芻を始めた。
「『空飛ぶゆうれい船』に似てるといっても、ゆうれい船は出てこないし、空中でのミサイルの撃ち合いもないしねえ…。」
「主人公のパートナーの犬もいないし…。……犬? 犬! 犬! いたよ! いたいた!」
そう、主人公のパートナーではないが犬が出ていた。絶望的な状況下で我々の心を温めてくれる犬だ。そして映画の犬の場面を思い返し始めたとき、飼っている親子の父親が右腕を吊っていたのを思い出した。
 
「なにィィイ?!」
 
そう。『空飛ぶゆうれい船』のこの写真を見てほしい。
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「父親が敵の攻撃で負傷し右腕を吊っている。代わりに息子が戦うのだが、その息子に愛犬がいる」
このトライアングルは『空飛ぶゆうれい船』と『パシフィック・リム』で全く共通している。2回見ても翌週までこれに気付かなかったとは…。なんという阿呆だ私は。見ていたのに見えていなかった。
 先に「初見時の印象」のところで、『空飛ぶゆうれい船』で怪物がホールの中の黒汐会長を見つけ出して捕えてしまう怖さのことを書いた。黒汐会長は怪物が吐く溶解液で溶かされてしまう。…溶解液!! そう、『パシフィック・リム』で博士を見つけ出した怪獣オオタチは、口から溶解液を吐いていた。オオタチは博士を溶解液で溶かすつもりだったんですよ! あれはボア・ジュースの原液だったんですよ!(文体が滅茶苦茶になってきましたがいいんですよ!)
 もう、気付き始めるといくらでも出てくる。
 ゆうれい船が出てこないと書いたが、考えたらちゃんと出ていた。船の形をしていなかっただけなのだ。ジプシー・デンジャーがそれだ。『空飛ぶゆうれい船』では、ゆうれい船は「原子炉を搭載」していて、「言葉で命令するとコンピューターがそれを解読して自動的に操縦する」機能がある。そして、敵の本拠地である海底へ向けて、主人公の少年と少女が2人で操縦して進む。作戦は、「敵の本拠地へ突入してゆうれい船の原子炉を核爆発させる」(!)ことだ。しかも少女は両親をボアーに殺されて、ゆうれい船の船長に育てられたのだという。そして最後はゆうれい船を敵の本拠へ突入させ、主人公たちは脱出カプセルで海上へ逃れる。
 以上、、まるで『パシフィック・リム』の物語だ。なんということだ。これだけ明白だったのに。
 また驚いたのは、ゆうれい船に搭載された磁力砲の説明だ。「相手のコンピューターの記憶装置を混乱させる。それでミサイルなどは使用不能になるんだ」(劇中の台詞そのまま)。…そう、『パシフィック・リム』でエウレカがミサイルを発射しようとした時にレザーバックが使った新兵器ですよ! ちなみにエウレカの胸が開いてミサイルを発射するのは、『空飛ぶゆうれい船』のゴーレムのミサイルそのままですよ!
 『空飛ぶゆうれい船』の黒汐会長は、裏でボアーと結託してゴーレムを操り、それに対抗するための軍需産業であくどく儲けていた。『パシフィック・リム』ではハンニバル・チャウが裏で軍隊に資金提供する代わりに怪獣の死体であくどく儲けている。しかも怪獣ともドリフトで接点がある。ハンニバルはまさに黒汐の角度を変化させたキャラクターだ。黒汐は怪物に捕らえられ溶かされたが、ハンニバルオオタチの子供に追いかけられてパクンとやられている…。
 
 おお、ギレルモ・デル・トロ監督よ。あなたはどれだけ『空飛ぶゆうれい船』が好きなんだ!
 負けた。まさか海のかなたで『空飛ぶゆうれい船』を見た人に負けるとは思わなかった。
 しかも負けて嬉しいのだ。これほどまでに『空飛ぶゆうれい船』を好きな人がいて本当に嬉しい。
 『パシフィック・リム』を最初に見たとき、心の奥底に手を入れられるような不思議な感覚があったが、そうじゃなくて、デル・トロ監督の豊穣な精神世界の中に入り込んでいたのだ。私は釈迦の手の上で踊っているサルだった。
 
 そう、やっと分かった。なぜ監督がこの映画に「ドリフト」という概念を持ち込んだかが。この映画は、デル・トロ監督の精神世界とドリフトできるイェーガーなのだ。
 この文章を今読んでいる貴方は、たぶん子供の頃から怪獣映画やロボットアニメが好きな方だと思う。そして、子供から大人になる過程でいわれたのではないか? 幼稚なものは卒業しろと。貴方は「幼稚だとは思っていない」が、その「魅力」を「言葉」でうまく説明できない。それで、「裏にかくれた深遠なテーマがある」とか、「大人の鑑賞に耐えるSF」とか、相手を調伏できそうな「言葉」を探しているうちに、自分でもその「言葉」を自己催眠で信じてしまってはいないだろうか。
 デル・トロ監督は、この作品を日本に対するラブレターだと発言している。また別のところでは、「僕が好きなものすべてに対するラブレターだ」とも。監督は、自らが受け止めた日本の特撮映画やロボットアニメ、そのほかにもたくさんの映画や小説や、はたまたルチャ・リブレに至るまで、そうした膨大な作品の「魅力」をひきだして、「言葉に変換」するのではなく、そのまま『パシフィック・リム』という映画に凝縮してくれたのだ。
 うろ覚えだが、ハンセン親子が劇中で言っていた。ドリフトしているから、言葉を使わなくても伝わってる、判っているよと。『パシフィック・リム』という映画を通じてデル・トロ監督の精神世界とドリフトすれば、言葉を介することなしに、共通して好きな作品の「魅力」とそれに対する「喜び」を分かち合える。
 先に書いたことの一部繰り返しになるが、『パシフィック・リム』は、ビッグ・バジェットの超大作として、多くの人が無駄な予備知識なしに十二分に楽しめる健全な娯楽映画でありながら、日本の怪獣映画やアニメーションが好きな人ひとりひとりには、心の奥底の微妙なひだまで届く繊細で個人的な映画でもある。しかもその届き方はひとりひとり違う。『空飛ぶゆうれい船』が大好きな私にはその部分が強く届くけれども、『サンダ対ガイラ』が大好きな人や『ガ・キーン』が大好きな人、皆それぞれ違う形で深く届く作品ではないかと思う。しかもその個人的な部分は、「隠されている」のではなく、多くの名作の「魅力」そのものがちゃんと表現されている。特定の作品名が見えにくいのは、それぞれの「魅力」を綺麗に解きほぐしたうえで見事に再構成されているからこそだ。『空飛ぶゆうれい船』や『サンダ対ガイラ』や『ガ・キーン』や、そうしたものの素晴しさが、幅広く誰にでも受け止めてもらえる形でここに甦っているのだ。そしてそのことこそが、いまや私が『パシフィック・リム』をとてつもなく凄く、とてつもなく素晴しい作品だと思っている理由でもある。
 
【4】蛇足だが大切なこと
 
 以上、文章としてはかなりガタガタになってしまったが、綺麗に整頓しようとすると、伝えたいことの形が変ってしまいそうなので、あえてそのままの形で皆さんにお読みいただくことにした次第。大変読みにくいことをお詫びする。
 
 最後にもうひとつだけ、全くの蛇足ではあるが私個人にとっては大切なことを書いておきたい。
 『空飛ぶゆうれい船』を劇場で見たのは幼稚園児の時だ。次はその数年後のテレビ放映で、その後はしばらく見る機会がなかった。だから、当時見た記憶そのものには曖昧なところが多く、現在の私の脳内にあるイメージや感想は、ずっと後年の上映会やレーザーディスク等で細かく補完されたものだ。だが、封切時の劇場の暗闇の中で見たあの時の記憶でとても強く残っているところがある。それは、ボアー本拠地へゆうれい船が突入していくクライマックスだ。暗闇の中で私は、完全に主人公の少年・隼人と一体化していた。怪物たちを操っているボアーとはどんな奴なのか。あの本拠地の中はどうなっているのか。敵の中枢の巨大なゲートはすこしづつ閉まっていくが、ゆうれい船はぐんぐん近づいていく。そこへ突入する恐ろしさを感じながらも、遂に敵の中枢へきたという興奮も味わっていた。これが90分の長篇動画なら、その先もあっただろうが、『空飛ぶゆうれい船』は60分の中篇だ。敵のゲートが閉まるギリギリでゆうれい船を突入させて、隼人たちはゲート突入前にゆうれい船から脱出カプセルで海上へ逃れた。私は恐ろしいところへ突入しなくてすんだ安堵を強く感じながらも、「あの中はどうなっていたのだろう」と思い、それがずっと気になっていた。
 
 もしかしたら、ギレルモ・デル・トロ監督も同じことを考えたのではないか?
 
 それに思い当たったのは『パシフィック・リム』を2回目に鑑賞した時、1回目で気付かなかったあるものを見つけたからだ。ゆうれい船が突入しようとしたボアーの星型のゲートとそっくりなものが、時空トンネルの先の敵の本拠地にもあったのだ! 5枚弁の星型ゲートにそっくりな6枚弁のゲートだ。画面のめまぐるしさで1回目は気付かず見逃していた。そのゲートの先には、敵の壮大な基地、そして敵宇宙人そのものの姿も!
 そう、『パシフィック・リム』は、遥か昔に幼稚園児の私が映画館の暗闇の中で「怪物たちを操っているボアーとはどんな奴なのか。あの本拠地の中はどうなっているのか」と感じ、今に至るまで引きずっていた悶々たる思いへ答えるプレゼントでもあったのだ。かつて『未知との遭遇』にUFOの中を見せてくれる特別篇というのがあったが、これは『空飛ぶゆうれい船』特別篇でもあったのだ!
 
 『パシフィック・リム』は私の心の奥の奥に秘めた思いにすら触れてくる素晴しい作品だった。いや、「だった」ではない。私にとって、『パシフィック・リム』は現在進行形だ。初見の時には15%しか好きではなかった映画が、どんどん好きになりつつある。怪獣の趣味の違いは簡単には解消できないかもしれないが、デル・トロ監督が好きなものなら、自分も好きになれるのではないだろうか。今はそう思っている。残念ながらIMAX3D上映は終わってしまったようだが、2Dでまた監督とドリフトするつもりだ。次はもっと高いシンクロ率になるはずだ。
 
Elbow Rocket !
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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