読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

だららん感想文 『シン・ゴジラ』の巻


 映画『シン・ゴジラ』を観たので感想文を書きました。 喫茶店で珈琲を飲みながらだらだら話すのを聞くような感じでお読みください。 1回観た印象だけで、それも観ている最中は頭の中がぐるぐるしていましたから、見逃しや勘違いもあるかと思いますが、そうした面も含めての率直な感想です。

 予備知識は控えめにして映画に臨みました。 ただ予告篇は見ていましたし、「完成した映画でファンタジーなのはゴジラだけ」という佐藤善宏プロデューサーの発言と、そのインタビュー記事の解説にあった「現在の日本に巨大な生物が出現したらどうなるかを描いた、リアルシミュレーション映画としての側面を持っている」という部分が頭に残っていました。 それゆえに、今回の映画は徹底してリアルな世界にゴジラという架空の存在が出現したらどうなるか、という視点の作品だと思い込んでいたのですが、これは事前情報の誤読でした。 淡々としてシリアスで深刻な作品を予想していたので、見始めた最初はちょっと混乱しました。
 冒頭からの展開を眺めて違和感を感じているうちに、矢口が突然「巨大な生物が」という話を始めるその唐突さに「えっ?」と驚き、頭の中に居座っていた「リアル」という言葉がどこかへ消し飛んで、その後に展開される絶妙かつテンポのいい台詞のやり取りに、「これのどこがリアルな世界なのか!? アレッ、これはコメディなのか?」と戸惑った挙句に理解したのは、単にこれは戯画化された世界に戯画化された人間たちが登場する、娯楽映画としてはむしろ当り前のスタイルの作品だということでした。 「リアル」とは、政府の人間それぞれが事態に対していかなる手順や手続きでどのように対処するのか、それぞれの行動とその相互関係についての「リアルシミュレーション」だったのですね。 自分の勘違いに気付いて、やっと映画に入っていくことができました。

 誤解を解決して座り直したところで困ったのが「どアップ」責め。 IMAXの巨大スクリーンいっぱいに通話機をぐわっと被せるように押し出してきたのには参りました。 その後も人物の巨大顔が巨大スクリーンにばんばんばんばんばんばん出てきて、「すいません、もう少し下がってください」と何度も心の中でお願いしておりました。 私が子供の頃によく見ていた空想特撮テレビ映画でも、画面いっぱいの顔のアップなどがやたら出てくる回があったのを思いだしましたが、あれは昭和40年代の解像度が低くて画面もごく小さいテレビ受像器で見た際の効果を考えてのことでしょう。 岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』にも三船敏郎のどアップはありますが、ここぞという勘所でだけ使っています。 もちろん、『シン・ゴジラ』でのどアップも深い考えがあって使い分けているのだとは思いますし、むしろ私が書いたような違和感を充分に理解して狙ったのかもしれませんが、どんな意図があるにせよ、とにかく鬱陶しくて鬱陶しくて。 2度と劇場で見たくない理由のひとつがこれです。 昭和時代で成長が止まった私の感覚からすると、巨大スクリーンの画面設計としては失敗のように思えますが、もしかしたら今の劇場映画はこれ位が普通なのでしょうか。

 さて、「おやっ」と思ったのは、怪物が背中を見せながら、河を進んでくるシーン。 これは印象的でした。 凄いことが起きているのに、映画の語り口が実に淡々としている。 巨大怪物が河を進んで、押しのけられた水や船が道路に溢れ、人々が走って逃げている。 これを見て、いやでも思い出すのが東日本大震災津波のテレビ中継です。 まさにテレビの前の視聴者であった私が感じた不思議な恐ろしさが蘇りました。 安全なテレビ前に座って、今まさに起きている信じがたい光景を見ている不思議な距離感と同じ感覚がここにありました。 現実と非現実の境界が曖昧になる瞬間。 『シン・ゴジラ』の特徴は、「市井の人の中にサブ・キャラクターを設定して、その苦難や心情を並行して描く」ようなことをしていない点ですが、それによって生まれる「距離感」が、本作にとってはうまく機能していると思います。

 さて、本作最大の難所、怪獣の顔を初めて拝むシーン。 「目を疑う」とはまさにこういう時に使うためにある言葉なのでしょう。 何が起きているのか何を見ているのか本当に分からなくなりました。 吾妻ひでおのマンガでの妄想的悪夢に出てきそうなそのヘンチクリンな顔。丸い大きな目玉が本当に異様。 リアルな災害シュミレーション、みたいな印象へ傾いてきたところへこれが来たので思考停止に陥りました。 まあ、「悪夢的」というのは狙ったのかもしれませんが、ここでもう、ついていけなくなりました。 ちなみに、映画鑑賞後にこれが「ラブカ」という実在の生物をモチーフにしているらしいと知りました。 ラブカの写真を見るとなるほどと思います。 でもね、「実在の生物をモチーフにしてるからリアル」ではないんですよ。 映画で表現されたものをどう感じるかです。 ヘビ笛みたいに首振りながら出てきたのでもう勘弁してくださいという気分になりました。
 しかしファーストカットはマンガみたいというだけでまだマシでした。 本当の恐怖はその後。 手というか前肢のあたりがうねうねと膨らんで、グロテスクな手がばりばりばりっと……。 この辺りは逆に生物感満載になって物凄く気持ち悪くなってきて、更に口の脇が裂けて赤い赤いスジスジがビローンと……もうこの辺りは何がどうなったのかうまく思い出せません。 もうとにかく気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて。 で、最後にスックと立った姿がまたマンガ的にデフォルメされた悪夢のような感じで、間が抜けてるんだけど体表の色もディティールもこれまた実に気持ち悪い。 グロテスクにユーモアが見え隠れするこの表現スタイルは、私が『シン・ゴジラ』を2度と劇場で見たくない理由のひとつです。
 ところが、色々な人の意見を見ると、こんなのはグロというほどのグロではないらしいのですね。 私より上の世代の方だと、私と同様な感想を持った方もおられましたが、私よりお若い世代の方は全然平気のようです。 これは「どっちが正しい」という問題ではなく、感性の違いでしかないのですから仕方ありません。 私にはこのグロが絶対ダメなのは事実であると同時に、大多数の方にはこんなのはグロではなくたいしたことないのも事実。 お若い方々よ、そういうわけで怪獣映画の未来はあなたがたの感性にお任せします。 幸運を祈ります。
 さて、さんざん文句を並べましたが、その一方でこの「丸い目玉」とその姿の佇まいが放つ独特の雰囲気は評価したいという気持ちもあります。 感情とか心とかそういうものを一切感じさせない、ただ生物が本能でうねうねと前進するその独特の存在感。 これは逆にあの目玉のおかげで良く出ていたと感じます。 更に言えば、というか本当はあまり言いたくないのですが、『ゴジラ』(1954)の上陸時の雰囲気にちょっと通じるところもあります。 生理的グロテスクという点では全くかけ離れた存在ですが。

 怪獣が一旦去った後、瓦礫ばかりの被災地を前に、矢口がひとり合掌するシーン。 ここは、見たその時には「こんなとってつけた描写いらないのでは」と思ったんですが、映画を見終わった後に考えを改めました。 「河を進む巨大怪獣」の話で触れた、「距離感」のようなものがよく出ています。 「遺体がずらりと並んでそこで合掌する」のではなく、瓦礫の山への合掌。 この「距離感」の話はまた後でします。

 さて次。ふたたび巨大な怪獣が上陸します。 やっとこさポスターや予告篇でおなじみの怪獣が登場して、ここはちょっと気分的に上昇します。 とはいえ、これは「別の怪獣が上陸してきた」とは思わないのでしょうか。 怪獣が出てくると同時に、「台詞」で生物が2倍くらいに巨大化していること、姿も大きく変わっていることを「説明」していますから、それで観客は無理やり納得させられます。 しかしこれは実にまずいやり方だと感じました。 台詞で2倍と言われたから、ああそうか、と思うだけで、登場時の映像自体に「2倍」を有無を言わさず納得させる力があるかというと、そうでもない。 こういうところこそ、台詞のリズムと映像のリズムのコンビネーション、映画的リズムでぐいぐいぐいと見せていくべきではないでしょうか。 最初に上陸した時に観客が味わった衝撃と同等かそれ以上の勢いで観客の顔を張り飛ばすような「巨大化と形態変化の驚き」の表現が、ここにこそ欲しかったですね。
 『ゴジラヘドラ』や『エイリアン』など、怪物が変態する「変態映画」の系譜からすれば、小さなチェストバスターが行方不明になった後に巨大な成体エイリアンが出てくる衝撃に似たものを狙ったのかもしれませんが、エイリアンの場合は頭部の雰囲気などを継承していますから、「台詞」で説明されなくても出てきただけで観客に納得させ衝撃を与える力があり、そこが、頭部の印象が著しく変貌している『シン・ゴジラ』との大きな違いだと思います。

 しかし、とてつもなく巨大な生物が静かに悠然と進んでいくイメージは、恐ろしいほどに美しい。 予告篇で抱いた期待感が間違っていなかったことを確認できる時間でもありますが、「逆にこれこそ予告篇などで見ずに、映画館で初めて目の当たりにしたかった」と実に勝手で矛盾したことを思ったりもするのでした。
 私は子どもの頃から、ミニチュアの戦車とぬいぐるみの怪獣が戦うような映画やテレビをたくさん見て育ちました。 私はそうした作品たちがほんとにほんとに大好きです。 しかし、『シン・ゴジラ』で現実感溢れる近代兵器が怪獣に徹底的な攻撃を加える渾身の映像もこれまた実に魅力的です。 どっちが上、ではなく、それぞれにそれぞれの魅力があるという当たり前のことを、今更ながら思います。

 さて、自衛隊の攻撃が殆どゴジラにダメージを与えなかったので、米軍の攻撃が始まります。 この辺りがまた微妙なところで、巨大生物への物理攻撃が効果を発揮すれば、体が裂け体液が流れ出すのは当然です。 されど、やはりここが私にはちょっと生理的に気持ち悪い。 私が子供のころに観た怪獣映画でも、怪獣の体や顔が裂けて体液が流れ出したり、腹に大穴が開いたりといった描写はありました。 でも、当時のぬいぐるみの質感その他の総合的な結果として、デフォルメのかかった表現になっていたせいか、生理的嫌悪は感じませんでした。 しかしこれは時代が変わったということでもあるのでしょう。 今の子供たちは、私が子供の頃にガメラ映画を見たように、この作品を見ているのかもしれません。
 『ウルトラマン』に登場するガヴァドンの如く、手を出さなければあまり動かず暴れもしないように見えるゴジラ。 しかし、手痛い攻撃を受けたことで反撃の牙を剥きます。 紫色に発光し、口が裂け、ビームと火炎で周囲全てを破壊し尽くし焼き尽くすかのような凄絶な光景。 ここはどうしても『風の谷のナウシカ』や『巨神兵東京に現わる』を思い出さざるを得ません。 私は、「過去の映画で見かけたようなシーンを入れてたら減点」とか、「過去にやっていない斬新なことをしてなければ価値がない」とか、そういう考えはありません。 映画の語り口の中で映画の構成要素として効果を挙げ得ているか否かが大事だと考えます。 しかし、ビーム(?)を出し始めた時点で以後どうなるか予想できてしまうのが物足りなかったのも確かでした。 いや、もちろん映像の出来栄えはたいしたものですし、炎との組み合わせ方も実に迫力があって良かったと思いますよ。 映画を見終わって少し時間が経った今にして思えば、映画の序盤から驚かされるようなものを次々に見せられたせいで、過大な期待を抱き過ぎていたのが不満の一因だったのでしょう。 まあ、口が大きく裂けるかのような開き方をするのをグロテスクに感じてしまうあたりも、私がいまひとつ乗り切れなかった理由かもしれません。 あるいは怪獣の腹が開いてビームを放つ別の映画を思い出してしまったせいもあるのでしょうか。
 物足りないと書きましたが、この場面で私の心を捉えた瞬間がありました。 矢口が初めて現場近くでゴジラを目の当たりにするシーンです。特に、地下鉄の入り口で見上げる夜空をゴジラの放ったビームが走るショットは、地上からの視点で周囲には人が大勢いるのでゴジラは見えず、ビームだけが空を走るその凄絶な恐怖に満ちた美しさは臨場感満点でした。 ただ、そうした美しさだけではなく、ほかに何か私の心を揺すったものがこのシーンにはありました。 それは何なのか、というのはこの文章を書く過程でわかってきましたので、以下の話の中で書きます。

 総理大臣の乗ったヘリがゴジラに撃墜されて、ゴジラ対策の実質的な重責が矢口にのしかかってきます。 米国や国連など海外からの干渉で核兵器による攻撃の危機が迫る中、矢口を中心にして、日本自身の力でなんとかゴジラに対処しようと努力する流れが描かれ、ゴジラを凍結する作戦に希望を見い出します。 恐ろしく危険な命懸けの作戦を開始する前に矢口が訓辞をするシーン。 皆が防護のための物々しい装備を身に着けていて、任務の危険さを実感させられる中、矢口の懸命の言葉が続きます。 ここは本当に強く私の心を捉えました。 観客としての私の心が、矢口に寄り添うがごとく一体化していく時間でした。 「過去の映画でよく見かけたようなシーン」であっても、「映画の語り口の中で映画の構成要素として効果を挙げ得ているか否かが大事だ」というまさにそのケースですね。 日本という国家の骨組みを守っている「官に属する人間」が決死の覚悟でゴジラに立ち向かう。 「ニッポン対ゴジラ」とは、「官民力を合わせて国民が一丸となってゴジラと戦う」という意味ではなく、官が国家を守り国民を守る姿を指しているのだと感じる瞬間です。
 そしてこの「官視点」ということで考えると、先に書いた「瓦礫の前での矢口の合掌」は、むしろ的確で鋭いシーンだと納得しました。 矢口の映画での立ち位置は市民の「中」にあるのではなく、また、官の「中」にあっても自衛隊員のように直接市民の遺体に接するわけでもありません。 矢口は官の中にあって官を統率する頂点集団の一人であって、市民や自衛隊員との間には明確な心理的な「距離」があります。 しかも、「距離」があって一人一人の具体的な顔が見えていない存在である市民や自衛隊員(その他、官に属して働く全ての人々も含め)に対して、非常に大きく重い「責任」を背負っている立場でもあるのですね。その絶妙な「距離感」と「責任感」がまさにここに現れていると感じます。
 この距離感に似たものは、ゴジラの出現に逃げ惑う人々や、崩れる建物の中に見える人々、また、ゴジラ攻撃直前に発見される逃げ遅れた人などの表現にも感じられます。 カメラと人々の物理的な距離は遠くないのですが、あくまで映画の語り口は距離感を置いた観察者であって、市民の内面に寄り添ったり、市民の心情を中途半端に描いたりはしていません。 そこを徹底しているのですね。
 そして、その「距離感」の中にあって、ゴジラや市民の様子を様々な報告や通信映像などを通して情報を受け取っていた矢口が、初めて直接ゴジラを目の当たりにし、しかも市民のざわめくすぐそばに立って体感するのが、先に書いた地下鉄入口の矢口のシーンなのでした。 あそこまでの積み重ねがあればこそ、ここが強烈なアクセントになっています。

 いよいよゴジラ凍結のためのヤシオリ作戦の実行ですが、ここでちょっと映画の中盤まで戻って、映画音楽の話をします。 私は、「その映画のために書かれた劇音楽ではなく、過去の映画音楽を使う」という手法そのものは否定しません。 ただ、成功させるのはすごく難しいのではないでしょうか。 中盤から、映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』に使われた聴き覚えのあるリズムが何度か出てきますが、これは正直困惑しました。 この独特のリズムは、私と同じかそれ以上の世代にとっては、ジョン・バリーが音楽を担当した007映画『ロシアより愛をこめて』の有名な曲を思い出させるものであり、エヴァンゲリオンでは明らかにその名曲のパロディのようなニュアンスを込めて書かれた音楽なのでしょう。 エヴァンゲリオンについて殆ど知らない私でさえ、テレビで放映された新劇場版だけは見ていたので、なぜここでこの二重の既視感(既聴感?)を幅広い世代に及ぼしている音楽を、わざわざ持ってきたのか大いに疑問でした。 いや、私にはわからない立派な理由があるんでしょう。 ただ、立派な理由があるか否かは大きな問題ではないんです。 せっかく映画と言う虚構の中に入り込んで物語の情緒に寄り添っていたのに、ジョン・バリーを聴いたとたんにそこから外へ引っ張り出されて、「映画ごっこ」を外側から眺めているような感覚になってしまうのが実に残念でした。 本当にもったいないと感じました。

 ヤシオリ作戦でも、第1段階の作戦開始と同時に聴き覚えのある音楽が鳴り響いて、ここは怒るというより笑ってしまいましたが、やっぱりちょっと惜しい。 これは『宇宙大戦争』のために書かれた映画音楽ですが、確かにこれを選曲した判断というかセンスそのものは実に絶妙で鋭いと思います。 映画の流れでいうと、ここは「対比」効果が存分に発揮されるところで、ここまでの描写で重くのしかかっている雰囲気をちょっと転化させる役割もあります。 新幹線を突っ込ませるという突拍子のない意表を衝いた作戦には、「諧謔」「疾走感」「突撃感」「明るさ」「痛快さ」「開放感」を感じますが、『宇宙大戦争』のM32という音楽はこの要素にぴったりなのですね。
 『宇宙大戦争』は宇宙からの侵略者との戦いを描いた映画ですが、序盤では得体の知れない侵略者の不気味さとそれに対する危機感があるものの、中盤から終盤にかけては、徐々に実態が明らかになる侵略者との全面的な戦争に突入します。 そこには「地球が滅んでしまうかも知れない絶望的な悲壮感」などはあまりなく、終盤では壮烈な総力戦の迫力を楽しむ高揚感に観客は心を任せていけるようになっています。 終盤で使われるこのM32には「突撃ラッパが盛大に吹かれ、皆一斉にシッチャカメッチャカに突っ込んでいく」かのような雰囲気を感じますが、ここには先に書いた「諧謔」「疾走感」「突撃感」「明るさ」「痛快さ」「開放感」が揃っています。
 ですが『シン・ゴジラ』では、列車突撃作戦の前には矢口の訓辞で「日本を守れるかどうか」という悲壮感と、それゆえに漲る決意を強く感じさせており、列車突撃作戦の後には、日本を守れるのか守れないのかというギリギリの凄愴な戦いが展開されます。 それゆえに、列車突撃作戦の音楽においても、「諧謔」「疾走感」「突撃感」「明るさ」「痛快さ」「開放感」だけではなく、どこかにその「重さ」のようなものが音楽の重心として機能して、前後のつながりと流れを作っていくべきではなかったでしょうか。
 まあ、以上の理屈はもちろん家に帰ってから、自分が感じた違和感の原因を解きほぐした結果ですが、とにかく観たその時には、「せっかくの矢口の訓辞のシーンからの情緒の流れの積み重ねが、うまく繋がらなくなってしまった」ということが全てです。
 『シン・ゴジラ』の音楽構成全体からいっても、新幹線突撃作戦は勘所のアクセントになる重要な場所です。 なればこそ、本作のために書き下ろした素晴しい音楽が欲しかったと心底思います。
 本作では他にも伊福部昭の映画音楽が複数個所で使われています。 巨大化したゴジラが上陸するシーンに使われた『キングコング対ゴジラ』でのゴジラの主題は、比較的違和感なく聴くことができたところでしょうか。 このあたりは、逆に音楽そのものから総監督が受けたインスピレーションを、具体的な映像として結実させたのがあのシーンだったのかもしれません。 また、『メカゴジラの逆襲』のゴジラの主題についても、同作でのゴジラは人類の脅威となる対立した存在ではありませんから、そうした意味では音楽の本来のイメージとは違いますが、『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『メカゴジラの逆襲』と順にゴジラのテーマを使うことで歴史をなぞっているということなのでしょうね。 まあ、意外に違和感は少なくて不思議な効果が出ていました。
 とはいえ、そもそもなぜ「伊福部昭の音楽を使う」のでしょうか。 半世紀以上も前の空想特撮映画のために書かれた映画音楽を使う理由。 先人が生み出した素晴しいものへの敬意を表し、今ゴジラ映画を見る若い世代へ、後の世代へ伝えていくためでしょうか。 先人の音楽を使うことよりも、先人に負けない音楽に挑戦することにこそ真の敬意があるとはいえないでしょうか。 そうしたことによってこそ、先人の仕事も光り輝くのではないでしょうか。 今思えば1984年の『ゴジラ』の音楽は、そうした意味で、渾身の書き下ろしによって統一された実に堂々たる映画音楽でした。

 さて、映画を見た時の印象を中心に書くつもりが脱線し過ぎてしまったので話を戻します。 列車突撃作戦の後、ゴジラのエネルギーを消費させるための航空作戦が始まりますが、ここがちょっと惜しい。 背中から多数のビームを放つゴジラのショットですが、ゴジラ自体のCGIの仕上がりが他のシーンに比べるとかなり落ちる印象を受けました。 ビームを放ちながらゴジラが少し体を動かすショットなどは実にぎこちなく、とても100メートル以上もある巨体には見えません。 ゴジラを表現するCGIの仕上がりについては、正直映画全体でばらつきを感じました。 予告篇などの告知映像に使われたショットは実に完成度が高く、IMAXのスクリーンで改めて観ると本当に見ごたえがありますし、「ついにここまで来たか」という感慨と喜びを強く感じさせるものでした。 それだけに、仕上がりのクオリティのばらつきは残念でしたが、恐らくは時間や予算の制約の結果止むを得ずというところだったのでしょう。

 では次。 「ゴジラの活動を抑え込むために埋める」という作戦は、『ゴジラの逆襲』や『キングコング対ゴジラ』といった作品に先蹤がありますが、ゴジラの周囲の巨大な高層ビルを次々に崩して使うという作戦、まさにこれぞ半世紀前ではなく今だからこそ出来ることですね。 これは実にダイナミックな迫力に満ちた凄絶な光景でした。 再度観てみたいところですが、他のところがきついのでとても劇場へ足を運ぶ気にならないのが残念です。 そして、この抑え込みに成功した後が本作の真骨頂です。
 私が子供のころに観たような特撮映画だったら、「怪獣の体を埋めて横倒しに押さえ込み、口から液体を流し込んで活動を止める」というのはひどく地味でつまらないアイデアに終わったかもしれません。 しかし、本作ではゴジラに設定された途方もない巨大さと、その巨大さを感じさせ得る映像表現があり、それがこのシーンを素晴しいものにしています。 横倒しに埋められてなお、ゴジラの頭部は途方もない高さにあります。 そのゴジラに薬液を注入する車両は、これまた相当に巨大な筈ですが、ゴジラと比べると悲しいほどに小さい。 その小さい車両が懸命にパイプ(?)を伸ばしてゴジラに薬液を注入しようとする姿の健気さには涙が出そうになります。 巨大なゴジラに立ち向かう、小さな小さな人間たち。 この恐ろしく危険な作業に従事する人々の、ただひたすらな姿も胸にくるものがあります。 そして、……そして、活動を抑え込んでいると思えたゴジラが突如として火炎を吐き、注入部隊があっさりとその業火に包まれ飛ばされていくショットには、思わず「うっ…」と体をよじりました。 体の芯というか心の芯に響くような衝撃を受ける強烈なシーンでした。
 この映画がここまで積み上げてきたものが実を結んだ瞬間でした。 注入部隊のひとりひとりが働く姿はきっちりと充分に描写されていて、その人間たちの姿には心動かされるものの、映画はそのひとりひとりに寄り添わず、距離を置いています。 部隊の中にサブキャラクターを配置して、その人物の心のあり方や考え方を浮き上がらせたり、「今度子供が生まれるんだよね」などの台詞を言わせたりとか、そういうことを一切していない、そのことが実に効いています。 また、火炎で部隊がやられるショットはあくまで距離を置いた視点であって、映画の視点は指揮官の位置に近く、ひとりひとりが炎に包まれるなどの「近づいた」描写は一切ないということも見事です。
 この感想文で何度も触れた「距離感」の匙加減が実に素晴しいですね。 先に書いたように、指揮を執っている矢口と、その指揮下で最前線で働く人々との間には心理的・構造的な距離感があります。 しかしその顔の見えないひとりひとりの重い命に対して矢口は大きな責任を背負っていると同時に、日本を救うために作戦を成功させなければならない責任も背負っているその苦しさ、その痛み、その重さ、その全てがここに集約されています。 部隊がやられた直後、衝撃を受けた矢口の反応は、まさに私の反応とシンクロするかの如きもので、そこからすぐに心を立て直して作戦指揮を続行する姿もまた「かくあるべし」としかいいようのないものでした。 「映画の語る情緒の中に入り込んで映画と一体となれる」ことこそ、私が娯楽映画に求める核心なのかもしれません。 『シン・ゴジラ』最高の瞬間がここにありました。

 さて、だいぶ話が長くなりました。 珈琲のおかわりはいかがですか。 えっ、さっさと残りの話をしろ? そうですね。 この後の展開も実に緊迫感というか切迫感があり、ハラハラさせられて実に良かったですよ。 活動停止させられるのか、どうなのか、という語り口も実にお上手でした。 このまま最後まで映画の情緒に寄り添っていけそうな気がしていたのですが、ゴジラが停止した後がもう私にはダメでした。 ゴジラが停止した、作戦が成功した、となれば一瞬ホッとしたすぐその後に、矢口は実行部隊の生存者探索や負傷者救出を気にかけて勢い込んだ言葉を発すると思っていたのですが、それが全くありませんでした。 確かに、火炎でまるごとやられた部隊は「全滅」という報告が入っていましたし、他の部隊についても、矢口が指示を出さずとも当然生存者探索や負傷者救出をやっているのかもしれません。 しかし、ここで重要なのはロジックではなく、「映画の語り口」として、矢口が彼らを懸命に気にかける姿があって欲しかった、いや、必要だったと私は思います。 それがあってこそ、実行部隊全滅の報告を受けた時の矢口の苦悶と素早い気持ちの立て直しの、本当の重さが伝わるのでないでしょうか。
 映画に寄り添っていた私の気持ちは離れていき、「私が大統領であなたが総理」みたいな話をしているシーンあたりになると、もう本当にどうでもよい気分になっていました。 全てが台無しでした。

 

 話は以上で終わりでもいいのですが、これは「だららん感想文」ですから、書き洩らした話題をだらだらと以下少々。

 カヨコ・アン・パタースンというキャラクターを見ていて、その妙な言葉遣いも含めてイライラする感じは私もありました。 ただ、私は「映画で俳優の演技に悪印象を持ったら、その責任は俳優ではなく監督にある」と考えます。 現場で俳優に指示を出し、その演技にOKを出した立場の者に責任があります。 あれはむしろ監督(総監督)の狙いなのでしょう。
 映画の設計上は、日本に核ミサイルを撃ち込もうとする側の人間、つまり「敵側」(?)の人間ですが、日系人でありしかも祖母が広島で被爆していて、内心はむしろ核攻撃を阻止したいという立場にあり、その点では「こちら側」でもあるという葛藤を抱えています。 『キングコングの逆襲』でのマダム・ピラニアを連想するようなキャラクターですね。 そして『シン・ゴジラ』での米国や国連といった存在は、リアリズムの著しく欠けた、かなりデフォルメされた存在であり、まるでマダム・ピラニアの所属する「某国」の如き曖昧なイメージでもあります。 国連決議で日本に核ミサイルを撃ち込むというのはいくらなんでもムチャクチャですし、そうした強い虚構性を与えられた米国を代表する存在としてのパターソンがあのような妙なキャラクターで表現されたのはむしろ必然だったのかもしれません。
 ただ、どのような理由があろうと、私にとってはこの映画に乗れない理由のひとつになってしまったのも確かなのでした。

 最後にゴジラについて。 私が良く観ていた昭和のゴジラシリーズでは、ゴジラは多かれ少なかれ擬人化された側面を持っていました。 いや、擬人化という言葉は誤解を招くかもしれません。 観客の視点で、ゴジラに人間的な感情を虚像として重ね合わせてしまうような映画表現、とでも書いたほうが私のイメージに近いでしょうか。 1954年の最初の『ゴジラ』では、そうした表現はごく少ないものでしたが、ゴジラを殺そうとする終盤で描かれた海中のゴジラの姿は、大人しくてちょっと可愛くて哀しくて、という印象を与えるものでした。 『ゴジラ』では、登場人物たちに「ゴジラが可哀相」などとは一切言わせていませんし、ゴジラを殺すことに反対する山根博士も、その理由はあくまで学術的な見地によるものでした。 しかし、映画の語り口は、ゴジラもまた可哀相なんだと感じさせるもので、登場人物の台詞を借りずにそれを表現していることが素晴しい作品でもありました。
 ゴジラ映画がカラーになってからは、ゴジラは人間のような感情を明確に垣間見せる(少なくとも観ている側はそのように感じる)ようになり、また映画の終幕では死なずに海へ帰るか島へ帰るか、という和やかな着地点が設定されるようになりました。
 そうした私自身の昭和の記憶の中にある、「ちょっと感情移入したくなるゴジラ」と対比すると、『シン・ゴジラ』でのゴジラは、かなり異質なものでした。 初期形態の感想で「感情とか心とかそういうものを一切感じさせない、ただ生物が本能でうねうねと前進するその独特の存在感。」と書きましたが、それは巨大化してからも同様で、暴威を揮っているときですら、「感情よりも本能」という印象を受けました。 ロボット、と書くと違いますが、「本能で自動反応する構造体」のように見える時もありました。 ただ、それでも「哀れ」な存在だと感じました。 いや、「それでも」というより「それだからこそ」哀れなのかもしれません。 不思議なゴジラでした。 ゴジラ映画はこれからどこへ向かうのでしょうか。


【結び】

 私が初めてゴジラ映画を劇場で観たのは、1967年の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』でした。 暗闇の中に光るカマキラスの眼の妖しさ、クモンガの谷を通る緊迫感など、幼児の私は「映画の描く怖さ」に魅了され、また、カマキラスが卵を襲い、その卵からミニラが生まれてゴジラがそれを助けに現れる、という物語の語り口にも心を奪われました。 そして今改めて観て私の心を強く惹きつけるのは、あの素晴しいラストシーンです。 映画の語り口と音楽の語り口が一体となり、観客である私の心も一体となるあの幸せな時間。 私にとっての素晴しい映画とは、それが面白おかしいコメディであれ、心の底から震え上がる恐怖映画であれ、あるいは他のどんなものであれ、「ああ、面白かったーっ」と笑顔で、充実した満足感で映画館を後に出来る映画です。
 そして私にとっては、『シン・ゴジラ』はそういう映画ではありませんでした。 でも駄作であるとも思いません。 この映画を楽しめる方々には、「良かったですね」と申し上げたい。 そして私は私で、私に喜びを与えてくれる映画を求め続けるだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広告を非表示にする

GODZILLA の綴りを考えたのは誰か ―竹内博さんが残したもの―

 1954年に本多猪四郎監督の『ゴジラ』が公開されてから60年。 今年は節目の年ということで、イベントや出版が目白押しの盛況を呈している。 洋泉社の「別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本」(2014年8月24日発行)も、そうした中で出てきた読み応えのある一冊だ。 ゴジラ映画、特に初代ゴジラの研究といえば、先駆者にして第一人者の竹内博さんの存在は途方もなく大きかった。 だがその竹内さんもいまやこの世の人ではない。 そうした今の状況で、「初代ゴジラ研究読本」のように新たな研究が世に出ることは大変喜ばしい。 竹内さんの拓いた道を、後に続く者がさらに進んでいく。 先人の作った階段を後に続く者が昇り、さらに上へ続く階段を作る、それこそが竹内さんが望んだことではなかったかと私はしばしば思う。
 ところが、おや、と思ったのが「初代ゴジラ研究読本」の135頁にある、GODZILLAの綴りについての解説。 1955年の Japanese Motion Picture Industry の誌面が紹介され、この海外向けプレスの表記ではすでに GODZILLA の綴りになっている事実が指摘されているが、「誰がどの段階で決定したかは詳細不明。」とある。 そして以下のように締めくくられている。 「なお、竹内博氏は生前GODがついたプロセスを記した本があり、そこには日本でつけられたと書かれている、と知人に語っていたそうだが、本書の調査では発見できなかった。」
 これは少し意外だった。 すでに研究者の間では知られていると思い込んでいた。 そこで、私が多少なりとも知っていることを以下に紹介する。

 竹内博さんは、1998年のトライスター版『GODZILLA』のノヴェライゼーション(スティーヴン・モルスタッド著、石田享訳、ソニーマガジンズ、1998年7月11日発行)に「ゴジラは伝説ではない」というエッセイを寄せており、その中で「ちなみに GODZILLA という洒落た英文スペルは、映画字幕翻訳家の高瀬鎮夫のアイディアである」と明言している。
 では、竹内さんはどうしてそれを知ったのか。
 おそらくその出典は、1974年に高瀬鎮夫が東京新聞夕刊に連載していた「スーパーまん談 字幕づくり奮戦記」というエッセイだろう。 3月8日付夕刊に掲載された連載第23回「ゴジラで三度かせぐ」には、当時の経緯が書かれている。 高瀬鎮夫は、輸出用の日本映画のために和文英訳をする仕事もしていたが、その中で『ゴジラ』(1954)の脚本を英訳する仕事が回ってきたのだという。 以下にエッセイの後半部分を引用する。 文中に「タテヨコ」とあるのは、縦書きの日本語を横書きの英語にする、つまり「和文英訳」の意味だ。

 (前略)とにかく「ゴジラ」の英文シナリオは無事に完成した。 英語でメシを食っているけど、自分で完全な英文が書けるなどとはユメにも思っていないので、タテヨコの時は、いつも多少は話のわかりそうな外人さんに手伝ってもらう事にしている。
 このころはアメリカ駐軍用の新聞「星条旗」(Stars and Stripes)の芸能記者アル・リケツがそれだった。 東宝にもサムライは多いので、この「ゴジラ」をそのまま Gojira としては、いかにもネウチがない、そこで知恵をしぼったあげく、 Gozilla となった。 イカす。
 アルが当惑したように言った。 「東宝ではこれが当たったら当然、続編を作るだろうな。そうすると、これは固有名詞でなく、一応は the Gozilla 定冠詞をつけるべきではないかな」。 先見の明ありと言うべきである。
 映画「ゴジラ」が完成して、その英文スーパーもアルと組んでやった。 映画の終わりで、水中に酸素不足でアエなくなったゴジラくんに向かって、志村タカシさんが言う。
 「ゴジラは決してこれで終わりではない。(もしこの映画が当たったら)きっと第2、第3のゴジラが出て来るだろう」
 アルと私は思わず肩をたたき合って笑いこけた。 はたしてアメリカでも大ヒット。 ついにこれを再編集してレイモンド(アイアンサイド)バア氏主演のアメリカ「ゴジラ」が日本に逆輸入された。そのスーパーもやらされた。 「ゴジラ」で3度かせいだ男――それは私です。

 以上、文中の綴りが Godzilla ではなく Gozilla になっているのが微妙なところだが、何しろ20年後に書かれたエッセイであり、 Godzilla を意味して書かれたのだと思う。 日本国内封切時の英字紙での広告では Gojilla となっているが、高瀬らが台本の英訳や完成映画のスーパーインポーズ用の英訳をする過程で Godzilla に固まっていったのではないだろうか。
 竹内博さんはなぜこれを皆に教えずにこの世を去ってしまったのか、と不思議に思われる方もいるのではないだろうか。 しかしそんなことはない。 実は、これはみんなが竹内さんからすでに教えてもらっていることだった。
 私がこの記事の事を知ることができたのは、ファンタスティックコレクションNo.5「特撮映像の巨星 ゴジラ」(朝日ソノラマ 1978年5月1日発行)に掲載された「ゴジラ映画主要参考文献目録」に「ゴジラで三度かせぐ/高瀬鎮夫」として掲載紙名と日付がきちんと書かれていたからだ。 「特撮映像の巨星 ゴジラ」の企画構成は酒井敏夫と浅野悦子。 酒井敏夫とは言うまでもなく竹内博さんの筆名だ。 竹内さんにとって、これは既に公開ずみの情報で、皆が知っているはずのことだった。
 ファンコレの「ゴジラ」は、いわばゴジラ映画をきちんと評価する出版活動のさきがけであり、ゴジラ映画を見据える視点の基礎、あるいは出発点となったムックだ。 だが、その後ゴジラに関する図書やムックは数え切れないほど出版されてきた。 それゆえ、「ファンコレは懐かしいけど、研究の進んだ今では特に見返すには及ばない」という意識があるのではないか。 しかし今改めてその頁を繰ってみると、限られた紙数の制約の下、実に端正にまとめられた充実の内容に驚かされる。
 正直に言えば私自身、ファンコレの「ゴジラ」に凝縮された豊かな内容を使いこなせていなかった。 刊行当時まだ中学生だった私は、「ゴジラ映画主要参考文献目録」の頁を見ても、そこに列記されている文献に当たろうという発想は起きず、ただ字面を眺めて感心していただけだった。 ファンコレ刊行の20年後に竹内さんが書いた「ゴジラは伝説ではない」で高瀬鎮夫の名を見た時も、すぐにはあの文献目録に結びつかなかった。 更に何年も経過してから、原稿執筆のために参考文献目録の頁を久しぶりに開いて、ようやく気付いたという体たらくだ。
 ファンコレの「ゴジラ」はもちろん竹内博さんひとりの功績ではなく、「取材スタッフ」や「資料提供・協力」として名前が挙げられている錚々たる顔ぶれの諸先輩方の熱意の結晶だ。 だが竹内さんの存在がこの完成度を生み出したのは間違いない。 つくづく感じるのは、自分が釈迦のてのひらで踊っている猿だということだ。今改めてファンコレの頁をめくってみると、そのことを痛感する。 竹内さんは、映画の脚本や宣伝資料、新聞記事に至るまで「紙の資料」を徹底的に探索し調査するという姿勢を貫くと共に、映画を作った監督、脚本家、製作者、美術家ら大勢の人々にも直接取材した。 この両輪をきちんとこなして相互に反映させることこそ「研究」の本義だということを身をもって示していた。

 このブログ記事の最初で、「先人の作った階段を後に続く者が昇り、さらに上へ続く階段を作る」という話を書いた。 竹内さん亡き今、生きている者が成すべきことは、「先人の作った階段」を埋もれさせないだけではなく、その階段作りの姿勢そのものに学び、新たな階段を作ることではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

広告を非表示にする

『パシフィック・リム』に犬が出てくるのはなぜか  ―記憶の森を旅する映画―


 ジェイムズ・ヒルトンの『心の旅路』という小説をずいぶん昔に読んだ。同題の有名な映画の原作だ。私の子供の頃の新聞や雑誌では、「記憶喪失」の話題にからめて「心の旅路」という言葉が代名詞のように使われていたほどだ。映画自体は見たことがなく、予備知識なしで小説を読んだのだが、一番最後の頁を読んで雷に打たれたようになった。
 
 「なにィィイ?!」
 
 ちなみに映画『心の旅路』も後に見たが、映画は原作を根本的に組み替えていて全く話の構造が違うので、中盤でこの仕掛けがわかってしまう。原作を読まれる方は、事前に絶対に映画を見ないことをおすすめする。
 『パシフィック・リム』という映画をどう受け止めたか。一言で言うなら、『心の旅路』で受けた衝撃にとても似ている感じがした。ただそれは、ラストに仕掛けがあるという意味ではない。『パシフィック・リム』初見から、「なにィィイ?!」に至るまでは2週間ほどもかかった。我ながら鈍感にもほどがあるが、この映画と出会ってそれを反芻し、はたと気付いたときの衝撃が、まさに『心の旅路』のあのラストだった。見ていたのに、見えていなかった。
 
【1】初見時の印象
 
 冒頭、最初の怪獣出現のカットは本当に素晴しかった。10秒にも満たないカットだが、「我々の現実世界」に巨大な怪獣が現われる、それを強烈な実感で見せてくれた。1フレームごとに見ていくと、最初の方は「実感を伴った普通の風景」の背景に怪獣が見えている。われわれ観客のいる場所は、金門橋の上に立っている人間の視点だ。目の前に停車している車両も現実感満点だ。ただ、左に見えるパトカーのランプ、そして橋の上にずらりと車両が停車してドアは開いたままになっているのが、何らかの事件を感じさせる。そして怪獣が襲い掛かってくると、怪獣の右手が橋の向こうの方にのしかかり、すぐ近くに左手が迫る。そして、すぐ目の前の現実感溢れる車両が怪獣の爪で粉砕される。それだけではない。磐石に思われた足元の巨大な橋全体が怪獣の力できしみ、ゆらぎ、傾いていく。
 そして続くカットでは見上げる構図で巨大な怪獣、崩れる橋、こちらめがけて落ちてくる車両。IMAX3Dという上映形式も相俟って、まさに「巨大怪獣を実際にこの目で間近に見る」というありえない体験をさせてくれた。
 また、中盤の東京襲撃のシークエンスも素晴しかった。東京のビル街の路上の視点に観客は立たされる。そして上空を突っ切って飛んでいくジェット戦闘機。その飛んで行く先には巨大な影、途方もない大怪獣だ。ビルを突き崩しながら覆いかぶさるような圧倒的迫力で巨大な怪獣が迫ってくる。これは私が幼稚園児のときに劇場で見た『空飛ぶゆうれい船』中盤のゴーレム出現を彷彿とさせる。『空飛ぶゆうれい船』では、まずジェット戦闘機、次いで戦車が日常のビル街に現われ、われわれ観客は路上でそれを仰ぎ見ている。戦車が攻撃する先に巨大な手、そしてゴーレムの全身が現われる。『パシフィック・リム』でも戦闘機の攻撃する先にまず見えてくるのは巨大な手だ。半世紀近くを経て、遂に私は『空飛ぶゆうれい船』の世界に実際に入り込むことができたのだ。IMAX3Dは、自分と怪獣が共有している巨大な空間を吹き抜ける風の息吹を感じさせてくれた。本当に驚いた。
 だが残念ながら、それだけだった。イェーガーと怪獣の戦いになると、ここまで書いてきたような魅力は消え失せてしまう。要は、自分が巨大ロボットと同化して巨大な存在となり、よくできたセットで怪獣とひたすら戦うような感覚を味わう映画になってしまうのだ。勿論それはそれで楽しい。だが、サンフランシスコと東京のシークエンスを見せられた身としては、それがひたすら残念だった。怪獣自体の魅力も、最初のカテゴリー3の怪獣たちは決して悪くないと感じるが、カテゴリー4、5と進むにつれて、自分の趣味には合わない類のパワフルなケダモノになっていってしまう。細かいところを見ていけば、ナイフヘッドから船を救うところは、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の冒頭の戦いの如く、船上の人物の不安な視点からの迫力はそこそこ魅力的だった。また、中盤の「巨大な市街の中のある地点の閉鎖された空間にいる特定の人物を巨大な怪獣が見つけ出して迫ってくる」という怖いシチュエーションは、『空飛ぶゆうれい船』で怪物がホールの中の黒汐会長を見つけ出して捕えてしまう怖さに通じるし、両者には「壁(天井)を突き破る巨大な爪」という共通する恐怖のイメージもある。他にもそういう細かいところではもちろん色々と楽しめるのだが、総合的には「勿体なくて残念」だというのが率直な印象だった。
 ただ、見終えて帰路を歩く途上で考えたのは、これは「ギレルモ・デル・トロ監督と自分の趣味の違い」でしかないということだ。監督が「無能」だとか、「分かっていない」とか、「センスが悪い」とか、そういう感想は一切抱かなかった。つまり「私の見たい映画」というベクトルは、私がこれまでの人生で出会ってきた色々なものの積み重ねの上にたどり着いたものだ。同様に、デル・トロ監督も日本からメキシコに届いたさまざまな怪獣映画やアニメは勿論だが、人生の上にいろいろなものを積み上げた上にデル・トロ監督のパーソナリティが成り立っている。だから、その違いだけが「私がこの映画の85%を気に入らない原因」なのだ。
 実はそれは私にとっては凄いことだった。正直、私は「日本の怪獣映画やアニメーションを好きなマニア達が作った映画」の殆どが大嫌いだ。それらを見ると、あまりの拙さに絶句する。心の中に湧いてくるのは「怒り」「哀しみ」「軽蔑」「絶望」だ。「好きこそ物の上手なれ」という言葉を持ち出す人がいるが、「ゴッホの絵が好き」かどうかと、「ゴッホになれる」かどうかは全く別の話だ。そして、ゴッホは滅多にいない。
 私はデル・トロ監督が『パシフィック・リム』で成し遂げた仕事に敬意を表する。この映画の中には、日本の特撮映画やアニメーションのいろいろな要素がたくさん見えるけれども、それらは「安易な引用」とは程遠いものだ。マニアが作る映画によくあるような「オマージュを切り貼りしたちぐはぐなパッチワーク」ではなく、デル・トロ監督がたくさんの作品を受け止めて十二分に消化して吸収して分解して養分にして己の一部としたものが、新たな『パシフィック・リム』という作品の血や肉として新しい命を得ている、それが結論だった。
 
【2】反芻、そして再見
 
 『パシフィック・リム』に対する感想をあちこち覗いてみると、実に興味深かった。日本の特撮映画(及びテレビ作品)の色々な断片が取り込まれているのは私にもある程度見えるが、ほかにもいわゆるロボットアニメの領域からも様々な題名が挙げられていて、しかもひとつに偏らずに人それぞれ挙げる作品がばらばらなのだった。『鉄人28号』『マジンガーZ』『鋼鉄ジーグ』『ゲッターロボ』『マグネロボ ガ・キーン』『ジャンボーグA』『機甲界ガリアン』『機動警察パトレイバー』『メトロイド』『神魂合体ゴーダンナー!!』、その他にも色々あった。私が良く知らない作品の方が多いが、それぞれの概要を覗いてみると、たしかに頷けるものばかりだ。『メトロイド』といわれればジプシー・デンジャーは正にそれだと感じるし、『ゴーダンナー』だといわれてみれば物語や設定は驚くほど似ている。
 もうひとつの興味深い点は、映画を見た時には心にひっかかる感じがして、時間が経ってから、「ああ、あれだ」と気付いたという意見が少なからずあったことだ。私も数日後にふと、「ああ、本体を敵の本拠に突っ込ませて吹っ飛ばして、操縦者は脱出カプセルで間一髪脱出するというのは、『空飛ぶゆうれい船』そのままだなあ」と気付いた。しかも操縦者が若い男女のペアなのもそのままだ。言われてみれば明々白々なことにすぐ気がつかないのは、膨大な作品の無数の要素が幾重にも重ねられて複雑に組み合わされているからだ。しかも、『パシフィック・リム』という映画の仕上がりはそういう複雑な組み上げプロセスを感じさせない、一見すごくシンプルに見えるほどの統一感に溢れた完成度の高い独立した作品になっている。
 ビッグ・バジェットの超大作として、「日本の特撮映画やロボットアニメを知っているか否かにかかわりなく観客が皆楽しめる映画」としての水準にきちんと到達した一見シンプルな作品でありながら、『空飛ぶゆうれい船』が好きな私が見ればそういう景色が見えるし、『ジャンボーグA』を好きな人が見ればまた違った景色が見えるのだろう。見る角度によって違った景色が見える万華鏡のようでもある。実に優れた映画だと思えてきた

 そして初見の5日後に2回目のIMAX3Dを鑑賞。すでに内容は把握しており、また自分の考え方も整理済みだったから、無用な一喜一憂抜きに、素直に見ることができた。自分の趣味に合うところも合わないところも、映画の全てをとても楽しめたと思う。 

 
【3】迷いの森を抜けて
 
 8月の半ばの暑い時期に2回観て、頭もぼーっとしていたが、涼しくなった翌週あたりにまた反芻を始めた。
「『空飛ぶゆうれい船』に似てるといっても、ゆうれい船は出てこないし、空中でのミサイルの撃ち合いもないしねえ…。」
「主人公のパートナーの犬もいないし…。……犬? 犬! 犬! いたよ! いたいた!」
そう、主人公のパートナーではないが犬が出ていた。絶望的な状況下で我々の心を温めてくれる犬だ。そして映画の犬の場面を思い返し始めたとき、飼っている親子の父親が右腕を吊っていたのを思い出した。
 
「なにィィイ?!」
 
そう。『空飛ぶゆうれい船』のこの写真を見てほしい。
f:id:latitudezero:20130830202156j:plain

「父親が敵の攻撃で負傷し右腕を吊っている。代わりに息子が戦うのだが、その息子に愛犬がいる」
このトライアングルは『空飛ぶゆうれい船』と『パシフィック・リム』で全く共通している。2回見ても翌週までこれに気付かなかったとは…。なんという阿呆だ私は。見ていたのに見えていなかった。
 先に「初見時の印象」のところで、『空飛ぶゆうれい船』で怪物がホールの中の黒汐会長を見つけ出して捕えてしまう怖さのことを書いた。黒汐会長は怪物が吐く溶解液で溶かされてしまう。…溶解液!! そう、『パシフィック・リム』で博士を見つけ出した怪獣オオタチは、口から溶解液を吐いていた。オオタチは博士を溶解液で溶かすつもりだったんですよ! あれはボア・ジュースの原液だったんですよ!(文体が滅茶苦茶になってきましたがいいんですよ!)
 もう、気付き始めるといくらでも出てくる。
 ゆうれい船が出てこないと書いたが、考えたらちゃんと出ていた。船の形をしていなかっただけなのだ。ジプシー・デンジャーがそれだ。『空飛ぶゆうれい船』では、ゆうれい船は「原子炉を搭載」していて、「言葉で命令するとコンピューターがそれを解読して自動的に操縦する」機能がある。そして、敵の本拠地である海底へ向けて、主人公の少年と少女が2人で操縦して進む。作戦は、「敵の本拠地へ突入してゆうれい船の原子炉を核爆発させる」(!)ことだ。しかも少女は両親をボアーに殺されて、ゆうれい船の船長に育てられたのだという。そして最後はゆうれい船を敵の本拠へ突入させ、主人公たちは脱出カプセルで海上へ逃れる。
 以上、、まるで『パシフィック・リム』の物語だ。なんということだ。これだけ明白だったのに。
 また驚いたのは、ゆうれい船に搭載された磁力砲の説明だ。「相手のコンピューターの記憶装置を混乱させる。それでミサイルなどは使用不能になるんだ」(劇中の台詞そのまま)。…そう、『パシフィック・リム』でエウレカがミサイルを発射しようとした時にレザーバックが使った新兵器ですよ! ちなみにエウレカの胸が開いてミサイルを発射するのは、『空飛ぶゆうれい船』のゴーレムのミサイルそのままですよ!
 『空飛ぶゆうれい船』の黒汐会長は、裏でボアーと結託してゴーレムを操り、それに対抗するための軍需産業であくどく儲けていた。『パシフィック・リム』ではハンニバル・チャウが裏で軍隊に資金提供する代わりに怪獣の死体であくどく儲けている。しかも怪獣ともドリフトで接点がある。ハンニバルはまさに黒汐の角度を変化させたキャラクターだ。黒汐は怪物に捕らえられ溶かされたが、ハンニバルオオタチの子供に追いかけられてパクンとやられている…。
 
 おお、ギレルモ・デル・トロ監督よ。あなたはどれだけ『空飛ぶゆうれい船』が好きなんだ!
 負けた。まさか海のかなたで『空飛ぶゆうれい船』を見た人に負けるとは思わなかった。
 しかも負けて嬉しいのだ。これほどまでに『空飛ぶゆうれい船』を好きな人がいて本当に嬉しい。
 『パシフィック・リム』を最初に見たとき、心の奥底に手を入れられるような不思議な感覚があったが、そうじゃなくて、デル・トロ監督の豊穣な精神世界の中に入り込んでいたのだ。私は釈迦の手の上で踊っているサルだった。
 
 そう、やっと分かった。なぜ監督がこの映画に「ドリフト」という概念を持ち込んだかが。この映画は、デル・トロ監督の精神世界とドリフトできるイェーガーなのだ。
 この文章を今読んでいる貴方は、たぶん子供の頃から怪獣映画やロボットアニメが好きな方だと思う。そして、子供から大人になる過程でいわれたのではないか? 幼稚なものは卒業しろと。貴方は「幼稚だとは思っていない」が、その「魅力」を「言葉」でうまく説明できない。それで、「裏にかくれた深遠なテーマがある」とか、「大人の鑑賞に耐えるSF」とか、相手を調伏できそうな「言葉」を探しているうちに、自分でもその「言葉」を自己催眠で信じてしまってはいないだろうか。
 デル・トロ監督は、この作品を日本に対するラブレターだと発言している。また別のところでは、「僕が好きなものすべてに対するラブレターだ」とも。監督は、自らが受け止めた日本の特撮映画やロボットアニメ、そのほかにもたくさんの映画や小説や、はたまたルチャ・リブレに至るまで、そうした膨大な作品の「魅力」をひきだして、「言葉に変換」するのではなく、そのまま『パシフィック・リム』という映画に凝縮してくれたのだ。
 うろ覚えだが、ハンセン親子が劇中で言っていた。ドリフトしているから、言葉を使わなくても伝わってる、判っているよと。『パシフィック・リム』という映画を通じてデル・トロ監督の精神世界とドリフトすれば、言葉を介することなしに、共通して好きな作品の「魅力」とそれに対する「喜び」を分かち合える。
 先に書いたことの一部繰り返しになるが、『パシフィック・リム』は、ビッグ・バジェットの超大作として、多くの人が無駄な予備知識なしに十二分に楽しめる健全な娯楽映画でありながら、日本の怪獣映画やアニメーションが好きな人ひとりひとりには、心の奥底の微妙なひだまで届く繊細で個人的な映画でもある。しかもその届き方はひとりひとり違う。『空飛ぶゆうれい船』が大好きな私にはその部分が強く届くけれども、『サンダ対ガイラ』が大好きな人や『ガ・キーン』が大好きな人、皆それぞれ違う形で深く届く作品ではないかと思う。しかもその個人的な部分は、「隠されている」のではなく、多くの名作の「魅力」そのものがちゃんと表現されている。特定の作品名が見えにくいのは、それぞれの「魅力」を綺麗に解きほぐしたうえで見事に再構成されているからこそだ。『空飛ぶゆうれい船』や『サンダ対ガイラ』や『ガ・キーン』や、そうしたものの素晴しさが、幅広く誰にでも受け止めてもらえる形でここに甦っているのだ。そしてそのことこそが、いまや私が『パシフィック・リム』をとてつもなく凄く、とてつもなく素晴しい作品だと思っている理由でもある。
 
【4】蛇足だが大切なこと
 
 以上、文章としてはかなりガタガタになってしまったが、綺麗に整頓しようとすると、伝えたいことの形が変ってしまいそうなので、あえてそのままの形で皆さんにお読みいただくことにした次第。大変読みにくいことをお詫びする。
 
 最後にもうひとつだけ、全くの蛇足ではあるが私個人にとっては大切なことを書いておきたい。
 『空飛ぶゆうれい船』を劇場で見たのは幼稚園児の時だ。次はその数年後のテレビ放映で、その後はしばらく見る機会がなかった。だから、当時見た記憶そのものには曖昧なところが多く、現在の私の脳内にあるイメージや感想は、ずっと後年の上映会やレーザーディスク等で細かく補完されたものだ。だが、封切時の劇場の暗闇の中で見たあの時の記憶でとても強く残っているところがある。それは、ボアー本拠地へゆうれい船が突入していくクライマックスだ。暗闇の中で私は、完全に主人公の少年・隼人と一体化していた。怪物たちを操っているボアーとはどんな奴なのか。あの本拠地の中はどうなっているのか。敵の中枢の巨大なゲートはすこしづつ閉まっていくが、ゆうれい船はぐんぐん近づいていく。そこへ突入する恐ろしさを感じながらも、遂に敵の中枢へきたという興奮も味わっていた。これが90分の長篇動画なら、その先もあっただろうが、『空飛ぶゆうれい船』は60分の中篇だ。敵のゲートが閉まるギリギリでゆうれい船を突入させて、隼人たちはゲート突入前にゆうれい船から脱出カプセルで海上へ逃れた。私は恐ろしいところへ突入しなくてすんだ安堵を強く感じながらも、「あの中はどうなっていたのだろう」と思い、それがずっと気になっていた。
 
 もしかしたら、ギレルモ・デル・トロ監督も同じことを考えたのではないか?
 
 それに思い当たったのは『パシフィック・リム』を2回目に鑑賞した時、1回目で気付かなかったあるものを見つけたからだ。ゆうれい船が突入しようとしたボアーの星型のゲートとそっくりなものが、時空トンネルの先の敵の本拠地にもあったのだ! 5枚弁の星型ゲートにそっくりな6枚弁のゲートだ。画面のめまぐるしさで1回目は気付かず見逃していた。そのゲートの先には、敵の壮大な基地、そして敵宇宙人そのものの姿も!
 そう、『パシフィック・リム』は、遥か昔に幼稚園児の私が映画館の暗闇の中で「怪物たちを操っているボアーとはどんな奴なのか。あの本拠地の中はどうなっているのか」と感じ、今に至るまで引きずっていた悶々たる思いへ答えるプレゼントでもあったのだ。かつて『未知との遭遇』にUFOの中を見せてくれる特別篇というのがあったが、これは『空飛ぶゆうれい船』特別篇でもあったのだ!
 
 『パシフィック・リム』は私の心の奥の奥に秘めた思いにすら触れてくる素晴しい作品だった。いや、「だった」ではない。私にとって、『パシフィック・リム』は現在進行形だ。初見の時には15%しか好きではなかった映画が、どんどん好きになりつつある。怪獣の趣味の違いは簡単には解消できないかもしれないが、デル・トロ監督が好きなものなら、自分も好きになれるのではないだろうか。今はそう思っている。残念ながらIMAX3D上映は終わってしまったようだが、2Dでまた監督とドリフトするつもりだ。次はもっと高いシンクロ率になるはずだ。
 
Elbow Rocket !
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

広告を非表示にする

平山亨さんのこと

 平山亨さんに初めてお会いしたのは、私がまだ中学生だった昭和53年でした。とある縁があって同じ年頃の友人たちと一緒にお目にかかる機会があり、東映本社の喫茶室で色々なお話を聞かせていただいて、そのお人柄に魅了されてしまいました。子供の頃から夢中になって見ていた『悪魔くん』や『キャプテンウルトラ』、その他多くの東映の子供番組を手掛けられてきた方だというのは知っていたものの、その頃はまだ「宇宙船」のようなファン向けの雑誌なども存在しておらず、詳しい予備知識は何もないままに足を運んだのですが、身にまとった陽性な雰囲気と、忘れられない魅力的な笑顔、そして熱のこもった話術に引き込まれました。まさに太陽のような人でした。
 その当時、平山さんは東映テレビ事業部テレビ企画営業第二部長というお立場で、担当作品としては『スパイダーマン』や『宇宙からのメッセージ 銀河大戦』が放映されており、大変お忙しかったはずです。今思い返すとファンの中学生がのこのこと会社へ遊びに行くなど迷惑以外の何物でもなかったのですが、色々と親切にしてくださいました。大泉撮影所の東映映像の方をご紹介いただいたので、その縁で撮影所に足を踏み入れることも出来るようになり、『スパイダーマン』の撮影を見学させていただいたり、「整理を手伝う」という名目で古い造形物の倉庫に入れてもらったりと、「夢の工場」で働く方々の大変さを垣間見ることも出来ました。撮影所の入り口でばったり平山さんと出くわすこともありましたが、こちらが後を追って東映映像へ入ったらもう姿が見えなかったり、とにかくお忙しくあちこち動かれていたという印象があります。
 昭和54年になると、キングレコードから発売された『キャプテンウルトラ』のLPに平山さんの談話が掲載されたり、朝日ソノラマが出したムック「素晴しき特撮映像の世界」では、座談会出席のみならず掲載された漫画にも登場したりと、平山亨さんという方の人物像が色々な形で紹介されるようになり、それをとても嬉しく感じた記憶があります。こうしたレコードやムックは、私よりもずっと上の世代のファンであってしかも出版業界で活躍するプロの方々が手掛けられたものであり、翌昭和55年にはファン向けの雑誌「季刊宇宙船」が創刊されて、平山さんや、平山さんが手掛けられた作品にもより光が当るようになりました。
 その頃は私も高校生になっていましたが、この昭和55年頃はちょうどその高校生くらいの年代のファンの横のつながりが広がってきた時期でもあり、同人で会を作って研究同人誌を発行する人も出てきました。そうした流れの中で、私も『キャプテンウルトラ』の同人誌を是非とも作りたいと考えるようになりました。物心つき始めた頃に出会った大好きな作品でしたが、東京では昭和48年の再放送が最後だったため、ビデオでの録画なども調達できず、詳しい内容すら確認できない幻の作品となっていました。
 資料も何もありませんでしたから、正直なところ、平山さんのご協力をいただけることを当てにした同人誌企画でした。しかし平山さんは大変お忙しい方です。厚かましいお願いをどのように切り出すか。口下手で引っ込み思案の私があれこれと考えているうちに一日一日と時間が過ぎていきました。そんなことをやっているうちに、いつの間にか友人から話を伝え聞いた平山さんがすでに台本と企画書を撮影所まで持ってきてくださっていると知った時は驚きました。ただの一ファンである私に、その貴重な資料を躊躇なくお貸しくださったのです。しかしもっと驚いたのはその後でした。平山さんは他に資料はお持ちではないので「いい人を紹介するから」とのことで、そのためにわざわざ食事の席を設けてくださり、平山さんの作品にお詳しく、当時すでにプロの編集者・執筆者として業界で活躍されていたお二人をご紹介くださったのです。私にとっては研究者としての大先輩にあたる方々です。私は平山さんにいただいた過分のご厚情を心底有難く思いました。
 しかし、私はこの頃のことを思い出すたびに、胸がすこし痛くなります。思慮に欠けた出来の悪い高校生だった私は、平山さんのしてくださったことがいかに重いかということを本当には理解出来ていなかったと感じるからです。自分が社会に出て年を重ねるにつれ、それがだんだんとわかるようになりました。そして、昨年刊行された平山さんの著書『泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~』(講談社)を読んで、さらに胸が痛くなりました。昭和50年代の半ばは、同書第6章「管理職へ」にあたる時期です。そこには、当時の平山さんがいかに時間に追われ飛びまわっていたか、その片鱗を伺わせることが色々と書かれていました。
 私が中学生の頃に初めて平山さんにお会いした頃の肩書は「テレビ企画営業第二部長」と聞いていましたが、同人誌へのご協力を仰いだ際に改めて頂いた名刺にはその下に「代理」の文字がついていました。当時は「おや?」と思っただけでしたが、『泣き虫プロデューサーの遺言状』を読んで、その理由を知りました。部長職は東映本社で半日を費やして行われる全体会議などに出席しなければならず、現場をあちこち飛びまわる平山さんにとっては無駄な時間でしかないので、昭和54年の段階で部長を退かれていたのでした。また、平山さんは渡邊亮徳さんから「飯を無駄に食うな」と教わり、代理店や局の人と食事をしてコミュニケーションを図るようにとも言われていたそうですが、これについても「でも、私は、飯に1時間もかけていられない。地下のカレー屋で流し込むと5分もかからず、仕事に戻れる」と同書にお書きになっていました。
 代理店の人と1時間食事するのさえ惜しいほどにお忙しく働かれていた平山さんが、私に先輩方を紹介してくださるために食事の席を設けてくださり、時間をかけて色々な話をしてくださった、それを思うと今も胸が苦しくなります。『キャプテンウルトラ』に関するインタヴューをさせていただいた際も、平山さんはいつもあちこち飛びまわっておられるので、携帯電話などない時代ゆえに何日も連絡がつかず、ようやく電話がつながって約束をいただいた日もお仕事が押していました。予定より数時間遅れでインタビューを開始したのですが、一日のお疲れがたまっていてしかるべき時間だったにもかかわらず、嫌なお顔ひとつされることなく、にこやかにエネルギッシュに、色々と興味深いお話を聞かせてくださいました。本当に申し訳なく思います。
 『キャプテンウルトラ』の同人誌は1年がかりで翌昭和56年に完成し、平山さんに直接手渡ししてお礼を申しあげることができましたが、私が大学へ進学した後は撮影所へ足を運ぶのが難しくなってしまい、以後殆どお目にかかる機会はありませんでした。
 ここに書いたのは、私の個人的な、小さな小さなお話です。ずっと後になって、平山さんを慕って訪れたファンの中学生や高校生が少なからずいたことや、そのひとりひとりに対して平山さんがとても親切にされていたという話を聞きました。また、映画の道を志して平山さんを頼ってきた方にも、親身になって応対されていたと聞きます。私はそうした大勢のはじっこのひとりに過ぎませんが、そうした話を聞けば聞くほど、平山さんがなさってきたことの大きさに頭が下がるばかりです。平山亨プロデューサーは、数え切れないほどたくさんの魅力的な作品を生み出してこられ、その足跡は今や巨大な山脈として聳えていますが、その根底には平山亨さんという「人間」の素晴しさがあったのだと思います。

 大切な恩人である平山亨さんの訃報に接し、私はいまだに心の整理がつきません。追悼の言葉も何を書くべきか、空をつかむのみでした。今はただ、心からご冥福をお祈りするばかりです。

 

鈴 木 宣 孝    

 

 

 

 

 

 

広告を非表示にする